Salley个人资料:
うらら
大阪府出身。中学でアコスティックギタを始める。2011年日本大震をきっかけに“自分が出来ることは音だけだ”と、大阪市内の大学を中退し、の反を押し切り独り上京。シンガソングライタとして活する中でギタの上口と出会い、Salleyを成。
上口浩平
福井出身。Salleyのギタ、作曲、アレンジを担当。高校在学中に地元でバンドを成し、8年活したが2009年に解散。上京してボカルうららと出会う。
小简介
透き通るようなアイリッシュ感と哀愁をびたロックサウンドで、邦シンの真ん中を射る上ポップデュオ。
日本人のシンガには珍しい地声とファルセットを巧みに操るこぶしやい回しが洋的で、オリジナルな世界を生み出している。
そのユニット名はアイルランドの音「Down by the Salley Gardens」に由来する。 音性は既存のを超えた良なクロスオバミュジック。
いよいよ5月29日デビュ
新世代の上ポップデュオが歌い奏でる
アイリッシュの哀愁を秘めた歌とロックサウンド
「何か命的なものに呼ばれてたのかもしれない」
Salley成に至るの中で、ボカルのうららはそんな言を口にした。幼いから歌や音が好きで、本格的にボイトレを学んだこともある大阪出身のうらら。音活に念するため大学を中退するときさえ止めなかったの反を押し切り、一大心の末に上京。そしてもなく、ギタリスト&コンポザの上口浩平と出会う。
「上京をめたのが震直後だったんです。それで母が、来年でもいいんじゃないの? って。一瞬、躇する持ちもをよぎったけど、でも今行かなくちゃ! って。で、上京してわりとすぐに上口くんと出会ったから、やっぱり命っていうか、自分の直感を信じてよかったと思います」(うらら)
一方、地元、福井でのバンド活に限界を感じて上京していた上口にとっても、それれは同じだった。都内のライブハウスでギタ片手に歌っていたうららの伸びやかで透明なその歌声をいて彼がひらめいたのは、「J-POPとアイリッシュトラッドの哀愁とエモションの融合」。その最初の晶となるのが、デビュシングル『赤い靴』だ。
曲名通り、うららがてがけたこの曲の歌は、アンデルセンの童『赤い靴』がモチフとなっている。祖母の死にでも、な葬のでも、何度とがめられても赤い靴を履きける少女は、いつしか脱げなくなった赤い靴を履いたまま踊りけ、疲れ果てた末に脚を切り落とす。そして切り落とされた脚は踊りながら森の中へ消えていく……。うららにとって、あらがえない命に踊らされる『赤い靴』の烈なイメジは、めようとしてもめきれなかった<音>への思いと重なるのだという。
「いろんなものになじめなかった小学校代の反もあって、周に合わせようと中学代は音の道をいったんあきらめたんです。でもどうにもならない葛藤みたいなものがあって、高校になってやった趣味がライブで、大学に入って加入したのがバンドサクル。もはや、もし主やOLになったとしても私はきっとどっかで歌うんだろうなって思うんです。上口くんの作ったこの曲をいてそういう<大人になりたくない>と思う部分とか、でもどんどん将来をめていくみんなに置いていかれる不安とか、自分としてはしておきたい持ちが、『赤い靴』のイメジと共に自然と引き出されていったんです」(うらら)
透明で。だがそこには凛とした力さを感じるうららの歌声と、BメロからCメロに突入した直後、目の前に一瞬にして大な景色ががる上口の奏でるギタサウンド。それはまさしく上口が最初に思い描いた、「J-POPとアイリッシュトラッドの哀愁とエモションの融合」のイメジとシンクロする。
「うららの歌声って、ザ?クランベリズとかのアイリッシュトとロックが融合した哀愁とか力さがあると同に、ポップな要素もある。このうららの声を活かして、Salleyならではのサウンドや世界を追求していきたいですね」(上口)